資本主義の精神
(3000兆円が消えた)
まさに天変地異のような激動が世界中の金融市場で起きていますが、余りの凄まじさに9.11の旅客機がワールドトレードセンターに突っ込んだ時のような、現実感の無さを感じます。でも、これは現実で、世界の株式市場の時価総額は昨年のピークから約3,000兆円も価値を失ってしまいました。当然、直接的に保有株式や投資信託の値下がりでダメージを受けた個人投資家は大変なのですが、直接投資していなくても年金を通じて株式や外国債券を保有していた人たちも大きな影響を受けているのです(自分も含めて)。この年金資産の毀損は、企業にとっての年金積み立て不足に繋がり、結果、新たに債務が発生するという事態が想定されます。このマイナス面は当然企業収益の減少要因であるということですが、プラス要因としては、株式への新規投資資金が増えるということです。
一方で、日本株がだめでも新興国株やグロソブがあると考え、個人の資金はリスクをとり続けていたのですが、今回のダメージにより、仮に相場が回復しても暫く個人の市場への参加は期待薄です。
(資本主義の精神)
米国、欧州各国共に銀行への公的資金注入を決定し、日本でも地域金融への公的資金の注入の方針が固まりました。国家が銀行の株主になると資本主義はどうなるのだろうかという懸念も出てきますが、ところで、そもそも資本主義とはどのようなものであるのかと、今更ながらちょっと勉強してみたくなりました。
そこで、何冊か面白そうな本を探して読んでみました。(読んだ本:「経済学をめぐる巨匠たち:小室直樹」、「日本人のための憲法原論:小室直樹」、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神:マックス・ヴェーバー」)
以下は、読んだ本の受け売りです。あしからず。
結論から申しますと、大変驚いたのですが、近代資本主義は、大変禁欲的で営利を追求する人たちを徹底的に敵視したプロテスタントによって生み出され、育まれたものであるということです。もともと、キリスト教では金儲けを許していないのに、さらに、そのなかでも聖書の教えに忠実なカルヴァンの教えによって、近代資本主義の基が築かれたということに、まさに目から鱗が落ちてしまいました。
予定説を信じるプロテスタントは、安息日以外の週6日働きづめで、結果として裕福となる。質素に暮らすのでお金は貯まる。キリスト教の教えでは、「労働は義務」ですので、労働することが修行につながるということになります。このキリスト教独特の考え方をヴェーバーは「行動的禁欲」と呼んでいますが、これを忠実に実践すると結果として金持ちとなる。さらに、労働はキリスト教が教える隣人愛の実践にもつながるというのです。求められる商品やサービスを提供すれば、それだけ隣人愛を行なったことにつながるので、ますます働くことは正しくなったということです。この隣人愛をどれだけ行なったかの尺度が利潤となるのです。キリスト教では利潤(儲け)を堅く否定したけれど、暴利をむさぼるのは良くないということで、適正な価格で売るのであれば差し支えない。この結果、欧州では定価販売が広まっていったということです。
こうしたやり方で、プロテスタントたちは「隣人愛」を実践し、自分の隣人愛の高さを確認するために、より多くの利益を上げようと考えるようになったということです。カルヴァンが冨を激しく否定した結果、逆に利潤の追及を許すようになったという逆転現象が起きたと、ヴェーバーは分析しています。
ここで、参考までに、ヴェーバーが看破した「資本主義の精神」について、小室氏が分かり易く解説していますので、紹介します。
資本主義の精神とは、
1.労働そのものを目的とし、救済の手段として尊重する精神
2.目的合理的な精神
3.利子・利潤を倫理的に正当化する精神
の3つから構成されます。
1.「労働そのものを目的とし、救済の手段として尊重する精神」とは、働く事自体に価値を見出し、喜びを感じる精神
2.「目的合理的な精神」とは、利潤を最大化する計算が出来る合理性の精神
3.「利子・利潤を倫理的に正当化する精神」は、利潤の最大化を追求することは、むしろ倫理的義務であり、義務を遂行するためにも目的合理的に行動し、利潤の最大化に努めなければならないという精神。
「近代資本主義は利潤追求に反対する経済思想が公然と支配したようなところでなければ生まれ得なかったのである。」ヴェーバー
(強気相場は悲劇の中で生まれる)
ウォーレン・バフェット氏の言動を見聞きすると、まさにこの資本主義の精神が宿っている(彼がプロテスタントであるか否かは知りませんが)と感じます。
一方、日本の資本主義と欧米の資本主義が同じではないように感じてはいましたが、これはこの資本主義の精神が異なっているからなのだと思います。日本においては利潤の追求にどこか後ろめたさを感じさせるのに対して、欧米ではその追求が倫理的ですらあるという違いです。外国人投資家が利益率に拘るのも経営理論や投資理論からくるものだけではなく、この資本主義の精神に基づいているのでしょうか。だとしたら、この欧米人と日本人の感覚の差はなかなか埋まらないのかもしれません。
さて、現在の恐慌(の始まり?)をもたらした大元はサブプライムでしたが、これは本来の資本主義の精神のバランスを失った多くの人たちによって引き起こされたものかもしれません。ただ、反省の機運も出ているようです。
不動産バブルを生み出しそれを支えた金融商品へ投資することにより、その責任の一端を担った年金は、自らの行動を反省し、投資姿勢を見直し始めたようです。自分達が短期投資と短期的利益の追求を結果的に煽ることとなったことから、長期投資を促すような仕組みを構築し、企業がより長期的な経営を可能とするような改革を検討していると伝えられています。不況も長引きそうですし、短期的な運用成果を求めることが難しくなってもいるので、企業、投資家ともに方向性の一致する変化になることを期待しています。結果として、ガバナンスに関する投資家の関心はより高くなり、バランスシートには現れない企業の資産(知的財産など)への感心も高くなってくるような気がします。経営者としては望むところでしょうが、現実となるとそれはそれで理解してもらうには苦労しそうです。ただ、目先の数字を追うことばかりにエネルギーを削ぐよりも遣り甲斐があるのではないでしょうか。
新しいことは破壊から生まれます。現在の混乱はよりよい世界が生まれるための試練だと前向きに受け取っていきたいものです。
「強気相場は悲劇に中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、陶酔の中で消えてゆく。」ジョン・テンプルトン
(傍目八目)


